この前新聞の投書による意見を見ていると「東京に出てきたときに、道でぶつかられても謝られずに不快な思いをした。東京の人はマナーが悪い」という投書を発見。
投稿した人は20代くらいの若い人でした。
まぁー、よく聞くよね。東京の人は人間味がないという話。都会に染まりやがってこの野郎的な話。
でも、ちょっと待ってほしい。本当に東京の人ってそんな人間の心が失われてしまっているの?
東京の人はぶつかってきても謝らない?
東京の人は地方の人と違って道ですれ違ったときにぶつかっても謝らないのは確かによくわかる。東京の駅を歩いているときにぶつかっても謝らない人は多い。地方に行くと「すみません」くらいは言うもんね。
僕も地方から上京したばかりのころは、生まれたての小鹿のようにプルプルと頼りなげに歩いているはかなげな私にぶつかってきても全然謝らずに何食わぬ顔で歩いて行ってしまう人を見て、「あぁー、怖いよぉー、東京の人怖いよぉー!!」と絶望しました。
そのあとも引越し初日に自転車の空気を抜かれたり、大学入学初日に謎のサークルの勧誘に合って、なんかもう俺RPGで言ったら訪れる街の順番間違えた?みたいな感じになりました。この人の冷たさはラスボス手前の街だよねぇ?
でも環境と慣れって怖い。
しばらくすると私もぶつかられても何も思わなくなりました。ぶつかられても、道にある小石につまずいたのと同じ感覚。それどころか私も最近ではつぶやくように「すいません」というだけ。恐らく相手には聞こえていないでしょう。あれほど怖がっていた「東京の人」になってました。これが東京の魔力・・・!
東京の人はマナーが悪い?
さて、ぶつかってきても謝らない東京のひとたち。かつての僕のように、東京に出てきたばかりの人は特にマナーが悪いと感じる場面も多々あります。確かに人にぶつかって謝られなければ冷たいと感じたり、ムッとすることもあります。それでマナーが悪いと感じる人がいるのは、まぁ、頷けます。
でもね、東京の人=マナーが悪いと決めるのはちょっと早計です。東京で過ごしていると、地元では感じられないマナーの良さに感動すらすることがあります。例えば電車の乗り降り。東京ではおなじみの光景の電車を待つ人がほとんどの人が降りる人を優先させたり、降りやすいようにドアの前を空けている光景。これ、地方だと本当に見かけません。
地方だと電車に乗る時思わずため息をついちゃうことも多々。今でも降りる人を優先させない人はとても多いし、今にも乗ってきそうな雰囲気で待っているのでとても降りにくい。
車内を見渡せば通学のカバンや部活の道具を置いて車内の移動をしにくくしている光景も。若い人や年齢を重ねている人問わず、電車のマナーは明らかに東京の人の方が上。
マナーが悪いと感じられることもあれば、とてもしっかりマナーを守る時もある。東京の人は冷たい人が多い=マナーも守らない。地方の人は暖かい人が多い=マナーもしっかり守っているというのはちょっと違いますよね。
東京の人が守る「マナー」とは?
考えてみた。
東京と地方で同じ人なのに、どうしてこうも守るマナーのタイプが違うのでしょう?私の中の結論は『東京にいる人は効率性が落ちるマナー違反はしない』でした。
例えば電車では、降りる人を優先にしないと結果的に電車のスタートが遅くなることを東京都民は身をもって知っている。電車だって5分間隔とか10分間隔で来る。全体をスムーズに流した方が効率がいい。電車内で荷物をベタッと床に置かないのも、人の動きが制限されれば乗り降りに時間がかかることを知っているから。
でも、駅の中で人にぶつかって謝ったからと言って何かが効率的になるわけではないですよね。
逆に人が多い駅で立ち止まって謝っていたら邪魔になってしまうこともあります。冷徹な言い方をすると、効率性とは関係のないマナー。
なんかこう書くと「ほらやっぱり東京の人って人間の心ないじゃーん!」って言われちゃいそうですが、地方の人だって電車でわれ先に乗ったり、図書館とかでわめいてる人が東京に比べて多かったり、あんまり想像力ないな?って人も多いよ。
つまり、どっちもどっちだよ!
この記事で伝えたかったことは結局何さ?
そもそもこれを考えるきっかけになったのは、冒頭でも紹介したようにある新聞で『東京の人はマナーが悪い』という投書を読んだからです。でも住んでいるとマナーが悪いと感じる場面はむしろ大都市以外にいる時の方が多いです。
なんかね、こうした『○○の人はこういう傾向がある』って若い人がイメージ通りのことを言ってると時々悲しくなっちゃうんですよね。なんかいかにも大人が喜びそうな結論付けになってますし、最近の「キズナ」ブームに乗っかってこうした地方の人の温かみみたいなものを強調する流れになってますけど、ちょっとそれは違うんじゃないかと思った次第。
なんかこの記事、一部の人はかなり反感買いそうですが。最終的に本当に言いたかったことはあんまりステレオタイプ的な(死語?)決まったイメージで考えるんじゃなくて、もう少しリアルなイメージで考えを作っていってくれ若者よ!というおっさんの領域に膝小僧くらいまで浸かってしまった人のただの戯言でした。だからあんまり怒らないでね。
地方はそんなせまくないから鞄置いても平気。乗り降りする人少ないし。ってこと考えたら、これも効率じゃない?人が来たらどかすし。道あけるし。ちゃんと声に出す。東京は無視。やっぱ人間味ない。
はなこさん
こんにちは!コメントいただきありがとうございます。管理人のかめねずです。
確かに乗車率が高くない電車であれば、鞄をおいても邪魔になりませんし、当たり前の風景として「おります」「どうぞ」「(邪魔になって)すみません」というような
会話もありますよね。
しかし一方で地方であればそうした光景が当たり前に見られるかと言えば、残念ながらそうとは言い切れない部分があります。
人が少ないからと言って公共の乗り物である電車内でその立ち振る舞いはどうなの?と思う場面にも何回も出くわしてきました。
本文中で紹介した乗り降りだけではなく、電車内で大声で会話をしたり、匂いのあるものを食べたりという光景は珍しくありません。
もちろん、東京でも電車内で化粧をしたりカップルで度を越えていちゃついていたりと嫌な場面も多いです。
記事と重複する部分もありますが、このように東京=マナーが悪い、人間味がないというイメージを持ってしまいがちですが、
結局は目立つ立ち振る舞いの種類こそ違えど、「どっちもどっち」というのが、やはり私の思う所ではあります。
色んな考えがある記事ではあると思いますが、こうしてはなこさんに考えの一つをコメントという形で反応して頂き、とても嬉しいです。
はなこさん、ありがとうございました!
大阪でもほとんどの人が、降りる人を優先して左右に分かれて待ってると思います
(一部の人達がやってる事は否めませんが、周りの皆さんは本当に迷惑そうな顔して見ています)
逆に東京の電車で降りる人が、扉の前で整列して動かず待ってる人達を邪魔そうに降りて行く場面もよく見ます。
又、東京の人は謝らないだけではなく、ぶつかった人同士が「ちっ」などと舌打ちしてる事もよくあります。
他にも電車内で酔っ払い同士が大声で会話してるのをよく見かけたり、そんな酔っ払いに達に足を踏まれて謝られなかったり。
ただ、コレはあくまでも私が私の目で見てきただけの光景に過ぎません。
私自身。東京や関東に友人も多くいてますので、東京の人や関東の人がどうだとか、大阪の人や関西人がどうだとか一切言うつもりはありません。
どこの地域でも真面目な人や優しい人もいてれば、自分勝手な振る舞いをして周りの評判を下げる人達がいてると思います。
結局何が言いたいかと申しますと、私もかめねず様と同じ意見を持っておりまして、〇〇の人だからとか自分の物差しで物事を決めつける人が多い事が残念でなりません。
全体的な見方を出来る人が多い世の中になれば良いと心より思います。
匿名さん
こんにちは!コメントいただきありがとうございます。管理人のかめねずです。
匿名さんも東京で「ちょっとどうなのかな?」と首をかしげてしまうような場面に遭遇したのですね。
また、大阪での電車の状況も教えて頂きありがとうございます。
>どこの地域でも真面目な人や優しい人もいてれば、自分勝手な振る舞いをして周りの評判を下げる人達がいてると思います。
>結局何が言いたいかと申しますと、私もかめねず様と同じ意見を持っておりまして、〇〇の人だからとか自分の物差しで物事を決めつける人が多い事が残念でなりません。
まさしくこの記事を書こうと思った動機も、記事内にも記載したように新聞の投書欄に「東京の人は~」という決めつけの投書を読んだことでした。
私がさらに悲しくなったのはこの投書をしたのがまだ若い人だったということです。
若い人こそ、イメージで語るのではなく自分の目でよく物事を見極めてほしいと思い当記事を書きました。
匿名さん、ありがとうございました!
地元捨てて東京で生活してる田舎者が多いんだから、そりゃ冷たい人間が多いだろう。
下町は人情味溢れるところがわんさかあるんだから、東京でマナーが悪かったり冷たかったりするのはくそ田舎から出てきたエセ東京人だろw
匿名さん
こんにちは。コメントいただきありがとうございます。
確かに東京に住んでいる人は地方から来た人も多いですよね。というか私もそうですが(笑)
例えば地方から出てきた人が下町に住んだらどうなるのでしょうね?気になります。
東京の通勤電車に毎日乗っています。
狭いホームで、通行人の妨げになるほど、真っ直ぐに整列していたり、
階段や通路で空気を読まない邪魔な人を、舌打ちして突き飛ばすような光景があったり、
東京はおかしいのかな?と考え始めたら、
150人乗っている一つの車両の中で、数十分誰一人として言葉を発しないことまで、
不気味に感じてきました。
ルールは守っているけれど